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IT業界の開拓者たち

第7回 独占禁止法の守護神

脇英世
2009/2/10

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本連載を初めて読む人へ:先行き不透明な時代をITエンジニアとして生き抜くためには、何が必要なのでしょうか。それを学ぶ1つの手段として、わたしたちはIT業界で活躍してきた人々の偉業を知ることが有効だと考えます。本連載では、IT業界を切り開いた117人の先駆者たちの姿を紹介します。普段は触れる機会の少ないIT業界の歴史を知り、より誇りを持って仕事に取り組む一助としていただければ幸いです。(編集部)

本連載は、2002年 ソフトバンク パブリッシング(現ソフトバンク クリエイティブ)刊行の書籍『IT業界の開拓者たち』を、著者である脇英世氏の許可を得て転載しており、内容は当時のものです。

オリン・ハッチ(Orrin G. Hatch)――
共和党上院議員、上院司法委員会委員長

 オリン・ハッチはユタ州選出の共和党上院議員であり、マイクロソフトの独占に対する強力なトラストバスターとして注目されている。トラストとは一般的な用法では独占企業であり、バスターというのはブロックバスターなどで使うのと同じ用法である。トラストバスターとは独占企業のぶっ壊し屋というほどの意味である。オリン・ハッチが有名になったのは1998年3月の「ソフトウェア産業でのマーケットパワーと構造的変化」というテーマで開かれた上院司法委員会で、無敵の帝王ビル・ゲイツを4時間にわたって査問し、徹底的に痛めつけてからである。

 行く手を阻むあらゆる敵を葬り続けてきた帝王ビル・ゲイツが、4時間にわたってオリン・ハッチに査問されて、いたぶられている様子はTVで全米に報道された。

 MSNBCは、マイクロソフトのMSNとNBCが提携してできている。その関係でMSNBCのマイクロソフトに関する報道はいわば身内に対する報道で手ぬるく身びいきがある。しかし、そのMSNBCの報道でさえ上院司法委員会に関しては次のようにいっている。

 「もしもゲイツの意図が会社の旗ふりをしてマイクロソフトをニューエコノミーの典型的な担い手として印象づけるというのであったらゲイツは成功した。もしゲイツの意図が経済の沈静化を目指していたならゲイツは成功した。もしゲイツの意図がマイクロソフトは独占企業であるという非難を沈静化させることであったならゲイツは失敗した。(以下略)」

 無敵のビル・ゲイツが珍しく敗北を喫したのである。

 マイクロソフトはこの事件を契機に議会対策を根本的に考え直さねばならないと反省した。マイクロソフトは議会に対するロビー活動やロビイストの数を増やす方向に動いているようだ。

 米国のマイクロソフトは、ホームページに「神話と真実(What's Myth and What's Fact)」というコーナーを設けている。このコーナーを設けた理由についてマイクロソフトは次のように述べている。「最近、マイクロソフトに関して多数の間違った情報がはんらんしている。その多くはわれわれの一握りの競争相手が流しているものである。以下におのおのの場合について、読者はこれらの神話に対してのわれわれの見解と事実を見るであろう。われわれはこれらの問題に関して記録を正してほしいと考える」

 これに続いてマイクロソフトが神話と見なす事例が挙げられる。

 「神話1:司法省は、われわれマイクロソフトが1995年の独占禁止法訴訟の同意審決に違反して、コンピュータ製造業者とのライセンス協定においてわれわれマイクロソフトが製品の不当な拘束販売をしていると主張している」

 マイクロソフトが神話というとき、ギリシャ神話のような神話を指すのではなくて、「荒唐無稽で事実無根のありもしない作り話」という意味で使っているのだと思う。しかし、最初の神話1についても、それほど荒唐無稽な事実無根の話かなと思う。むしろ限りなく黒に近い灰色の話ではないかと首を傾げたくなる。

 この神話の7と8にオリン・ハッチが登場する。

 「神話7:ユタ州のオリン・ハッチ上院議員とテキサス州検事総長は、マイクロソフトがマイクロソフトのパートナーとの間で結んだ機密保持契約(NDA)が、政府の(すべての事実を掌握していなければならないという)職務遂行を阻害していると主張している」

 「神話8:オリン・ハッチ上院議員はマイクロソフトがインターネットサービスプロバイダ(ISP)に、独占的な提携関係になることを要求しており、ISPが顧客にブラウザの選択について語れないようにしている」

 神話は11個しかないので、オリン・ハッチはマイクロソフトに最もにらまれている人間ということになる。

 オリン・ハッチは、1934年3月22日、ユタ州に生まれた。正式にはオリン・グラント・ハッチという。父はジェッセ・ハッチ、母はヘレン・ハッチ。妻はユタ州ニュートンのエレーヌ・ハンセンで、2人の間には子どもが6人、孫が16人いる。ユタ州はモルモン教徒が切り開いた州であり、現在でもモルモン教徒が人口の90%以上を占めるといわれており、モルモン教の教義は子孫を増やすことを奨励している。著書の目録などから判断して、恐らくオリン・ハッチも敬けんなモルモン教徒であろう。

 オリン・ハッチの父は金属加工旋盤に取り組んで毎日長時間働き、一生懸命働くことの価値をオリン・ハッチに教えた。若き日のオリン・ハッチは金属加工旋盤の扱いを学びAFL-CIO(米国労働総同盟・産別会議)の組合員であった。決して豊かな家庭ではなかったようだが、慈愛に満ちあふれた家庭に育ったようだ。

 1959年、オリン・ハッチはブリガム・ヤング大学を卒業した。成績優秀であったらしく、ピッツバーグ大学のロースクールの特待生になった。ロースクールは法律専攻の大学院である。オリン・ハッチはロースクール時代には家族の生活を支えるため、昼間は門番、旋盤工、夜は守衛などのアルバイトで懸命に働いた。刻苦勉励の苦学生という感じである。1962年オリン・ハッチは法学博士の学位を授与された。話は脱線するが博士の学位をもらう最も楽な方法は上院議員になることらしく、メリーランド大学、ペッパーダイン大学、南ユタ大学、スタンフォード大学カンバードロースクールがオリン・ハッチに名誉博士号を贈っている。

 オリン・ハッチは法学博士の学位を授与された後、ペンシルベニア州、ユタ州の法律事務所で弁護士の修業をした。

 ここで当然1967年、42歳のとき、オリン・ハッチは上院議員に立候補した。それまでオリン・ハッチはまったく無名で事務所すら持っていなかった。当ユタ州では民主党のフランク・E・モスが上院議員選挙に3選を続けていた。オリン・ハッチは共和党内の上院議員候補指名選挙に最終日に立候補した。まったく無名のオリン・ハッチは誰にも期待されない候補であったが、小さな政府、税金の制限、公的サービスの統合などを訴え、一大旋風を巻き起こした。オリン・ハッチは健闘し共和党の上院議員候補の指名を獲得した。余勢をかって、オリン・ハッチは勝てるはずがない上院議員選挙に民主党候補を破って当選してしまった。

 オリン・ハッチは1976年の当選以来、連邦政府の官僚主義に反対し、コストがかかり負担の大きな連邦政府の規制に一貫して反対してきた。「ミスター自由企業」「小企業の守護者」「ミスター憲法」といわれている。

本連載は、2002年 ソフトバンク パブリッシング(現ソフトバンク クリエイティブ)刊行の書籍『IT業界の開拓者たち』を、著者である脇英世氏の許可を得て転載しており、内容は当時のものです。

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