第9回 ロックとマックとニュートンのはざまで
脇英世
2009/2/16
本連載を初めて読む人へ:先行き不透明な時代をITエンジニアとして生き抜くためには、何が必要なのでしょうか。それを学ぶ1つの手段として、わたしたちはIT業界で活躍してきた人々の偉業を知ることが有効だと考えます。本連載では、IT業界を切り開いた117人の先駆者たちの姿を紹介します。普段は触れる機会の少ないIT業界の歴史を知り、より誇りを持って仕事に取り組む一助としていただければ幸いです。(編集部) |
本連載は、2002年 ソフトバンク パブリッシング(現ソフトバンク クリエイティブ)刊行の書籍『IT業界の開拓者たち』を、著者である脇英世氏の許可を得て転載しており、内容は当時のものです。 |
スティーブ・キャップス(Steve Capps)――
元アップルアーキテクト
スティーブ・キャップスはマッキントッシュのファインダ(Finder)を作ったことと、ニュートン(Newton)の開発を担当し、ニュートンOS 2.0のチーフアーキテクトとなったことで有名である。ロックスター風だが、実際に本人もロックスターになりたかったようである。ジャミネーター(Jaminator)というエレクトリックギターも開発している。
スティーブ・キャップスは、1955年ニューヨーク州生まれで、ロチェスター工科大学を卒業した。彼の音楽関係の友人にニューヨーク在住者が多いのは、ニューヨーク州出身ということも手伝っているのだろう。1970年代後半、スティーブ・キャップスはゼロックスで働いていた。ゼロックスからラリー・テスラーがアップルのリサ(Lisa)開発に参加し、続いてスティーブ・キャップスがゼロックスを抜けてリサ開発に参加した。引き抜かれた形である。スティーブ・キャップスはリサの開発段階でも、リサ用のグラフィックスゲームを作って楽しんでいたようだ。
1982年9月、スティーブ・ジョブズがマッキントッシュ開発にスティーブ・キャップスを巻き込んだ。マッキントッシュチームの有名な髑髏(どくろ)の海賊旗はスティーブ・キャップスとスーザン・ケアが協力して縫ったものらしい。スティーブ・キャップスがマッキントッシュのファインダを開発したことになっているが、実際に開発を始めたのはブルース・ホーンで、スティーブ・キャップスはそれを手伝っただけらしい。
マッキントッシュの出荷後、しばらくしてスティーブ・キャップスは燃え尽き、1985年、アップルを去った。ファインダを開発したブルース・ホーンもアップルを去った。アンディ・ハーツフェルドも燃え尽きてアップルを退社していた。スティーブ・ジョブズもアップル社内の政治闘争に破れていた。
アップルを去ったスティーブ・キャップスは、パリに1年ほど住んだ。当時、スティーブ・キャップスはフランス語を話せなかったようだ。それでも彼はパリの散策が好きで、次第にフランス語も話せるようになった。
パリでスティーブ・キャップスは、ジャムセッション(JamSession)という音楽ソフトを書いた。ロック用の一種のカラオケソフトみたいなものだ。また40ピンのチップも設計した。チップの設計はパリではつらかったので、スティーブ・キャップスはカリフォルニアに戻った。チップは完成し、これを使ったジャミネーターというエレクトリックギターが作られた。三角形のギターである。カートリッジを差し込んで使うらしい。面白いことに、日本のアローマイクロテックという小さな会社がジャミネーターをライセンスし、ヤマハへ持ち込んだので、ジャミネーターは1993年から1994年にかけて日本で売られたらしい。もっともあまり売れなかったようだ。
ジャムセッションとジャミネーターは、現在でもインターネットからダウンロードしたり、見ることができる。ジャミネーターはロンドンのモーレイダーインポート商会から買うことができるようだ。
スティーブ・ジョブズはNeXTを設立すると、スティーブ・キャップスとアンディ・ハーツフェルドをリクルートしたが2人は断った。
1987年、スティーブ・キャップスはアップルが手書き文字認識の開発を始めていることを聞いて、10ページほどのレポートを書いてアップルに売り込み、1988年初頭にアップルに復帰した。ジョン・スカリーに直接売り込んだようである。
そこへ、アップルに入社したマーク・ポラットが登場する。マーク・ポラットは社内で「ポケットクリスタル計画」(*注)について喧伝し始めた。当初、アップル社内では全員が反対した。ところがマーク・ポラットは、ビル・アトキンソンとアンディ・ハーツフェルドを味方につけた。このためポケットクリスタル計画は突然アップル社内で主流派となり、ジョン・スカリーの支持も得て、1990年5月、ジェネラル・マジック(General Magic)社が設立された。ジェネラル・マジックの会長兼CEOにはマーク・ポラットが就任した。ジェネラル・マジックの製品は通信用OSのマジックキャップ(MagicCap)とテレスクリプト(Telescript)であった。
(*編集部注)情報端末の具現化を目指すプロジェクト。マーク・ポラットは携帯情報端末の構想を持っており、ジェネラル・マジックにて通信用OSのMagicCapや通信言語のTelescriptを開発することとなった。 |
本連載は、2002年 ソフトバンク パブリッシング(現ソフトバンク クリエイティブ)刊行の書籍『IT業界の開拓者たち』を、著者である脇英世氏の許可を得て転載しており、内容は当時のものです。 |
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