第27回 速戦即決で業務を拡大
脇英世
2009/3/16
1993年ごろ、会長のジム・クラークは、エド・マクラッケンをはじめとする経営陣と対立を深める。ジム・クラークは、VOD(ビデオ・オン・デマンド)のセットトップボックスやゲームへの進出を主張するが相手にされなかった。もっとも、しばらくしてから、シリコングラフィックスは両分野に進出する。
1993年8月23日、シリコングラフィックスは任天堂とプロジェクト「リアリティ」の推進をすることになった。この「リアリティ」が任天堂のウルトラ64(NU64)で、MIPSの64ビットRISCプロセッサR4300を使用することになった。こうしてシリコングラフィックスは、ゲームの世界へ進出することになった。
一方、タイム・ワーナーは、1994年情報スーパーハイウェイ構想に沿って、オーランドの4000世帯を対象にしたFSN(フルサービスネットワーク)プロジェクトを始めていたが、シリコングラフィックスはここで大きな役割を果たすことになる。
VODのセットトップボックスは、シリコングラフィックスのワークステーションを基にサイエンティフィック・アトランタが製造した。ビデオサーバはシリコングラフィックスの構想の下でAT&Tが製造した。ただし、オーランドでのFSNプロジェクトは必ずしもうまくいかなかったようだ。
1994年1月27日、ジム・クラークはシリコングラフィックスの会長退任を発表した。追い出されたか、自分から出て行ったかは定かでないが、いずれにしてもジム・クラークはシリコングラフィックスに席を失った。
1994年2月28日、ジム・クラークの会長退任に伴い、エド・マクラッケンが会長に就任した。
路線の対立が解消され、シリコングラフィックスはワークステーションメーカーとして生きていくことになった。
シリコングラフィックスが選択したワークステーションメーカーとしてのライバルは、シンキングマシーンやマッシブパラレルプロセッサ(超並列コンピュータ)を製造しているメーカーであった。
1996年2月、シリコングラフィックスはスーパーコンピュータの代名詞でもあるクレイ・リサーチとの合併を発表し、6月には合併を完了した。これは超並列コンピュータやスーパーコンピュータを狙うエド・マクラッケンの路線から考えれば論理的な必然であったかもしれない。
シリコングラフィックスは、その後も驚異的な成長を続けた。クレイ・リサーチを買収して予想以上の収益を上げた。シリコングラフィックスの弱さは製品が高級化し過ぎていて、一般人の手の届く範囲にないことである。下から上がってくるインテル・マイクロソフト系の高級指向パソコンとどう対抗していくかも問題であった。また、拡大に次ぐ拡大で組織が固まらず、中間管理職が不在のままで、いわゆる統制のとれた会社らしい会社に持っていくにはどうしたらよいかが課題といわれていた。
シリコングラフィックスは、ワークステーション分野でサン・マイクロシステムズやヒューレット・パッカードなどのライバルにシェアを奪われ続けた。また、低価格のサーバ市場ではウィンドウズNTを搭載したコンパックのサーバに追われ続けた。
そうこうするうち、1997年秋、シリコングラフィックスは業績の悪化とともに人員解雇をせざるを得なくなった。エド・マクラッケンの再建策は受け入れられず辞職を迫られた。
1998年1月、ヒューレット・パッカード コンピュータ部門の執行副社長リチャード・ベルーゾがシリコングラフィックスの会長兼CEOとなった。エド・マクラッケンは、同年6月まで顧問としてとどまることになった。リチャード・ベルーゾは1954年生まれ。サンフランシスコのゴールデンゲート大学 商学部を卒業し、その後、ヒューレット・パッカードに22年間勤務した。
リチャード・ベルーゾ率いるシリコングラフィックスは1998年4月、戦略的方向性を発表した。その骨子は以下のようなものである。
- MIPSテクノロジーズを独立会社として分離する
- インテルとの提携を強化し、IA32、IA64を採用する
- ウィンドウズNTを採用する
- 2つのCPU、2つのOSのクロスプラットフォーム戦略を採用する
インテルとの提携は次世代64ビットアーキテクチャであるIA64のMercedの採用が基本だが、Mercedの出荷が2000年まで延期されたことがシリコングラフィックスの戦略を少し苦しいものにしている。また2つのCPU、2つのOSのクロスプラットフォーム戦略は、昔ACEで失敗した戦略であり、リチャード・ベルーゾがどのようにシリコングラフィックスのかじ取りをしていくかが見ものである。
■補足
リチャード・ベルーゾのシリコングラフィックス統治は1988年1月から、1999年9月までと非常に短かった。1999年9月には、マイクロソフトにグループ副社長として入社してしまったのである。ただし、マイクロソフトの最高経営責任者 スティーブ・バルマーとそりが合わず、2002年5月1日に辞職することになっている。
本連載は、2002年 ソフトバンク パブリッシング(現ソフトバンク クリエイティブ)刊行の書籍『IT業界の開拓者たち』を、著者である脇英世氏の許可を得て転載しており、内容は当時のものです。 |
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