第29回 パソコン直販方式の開拓者
脇英世
2009/3/18
本連載を初めて読む人へ:先行き不透明な時代をITエンジニアとして生き抜くためには、何が必要なのでしょうか。それを学ぶ1つの手段として、わたしたちはIT業界で活躍してきた人々の偉業を知ることが有効だと考えます。本連載では、IT業界を切り開いた117人の先駆者たちの姿を紹介します。普段は触れる機会の少ないIT業界の歴史を知り、より誇りを持って仕事に取り組む一助としていただければ幸いです。(編集部) |
本連載は、2002年 ソフトバンク パブリッシング(現ソフトバンク クリエイティブ)刊行の書籍『IT業界の開拓者たち』を、著者である脇英世氏の許可を得て転載しており、内容は当時のものです。 |
マイケル・デル(Michael S.Dell)――
デルコンピュータ会長兼CEO
マイケル・デルについては何度か書こうと思ったことがあるが、いざ書こうとすると資料が足りなくてあきらめてしまった。マイケル・デルは有名であるし、これまでフォーチュン500に入るハードウェアメーカーの最年少CEOとして最長在位期間を誇っている。ただし、マイケル・デルは大物ではあるが、大衆にアピールするところが少なく庶民性がない。日本にも来たことがあるし、1997年のコムデックスでも基調講演のスピーカーを務めたが、それで特にどうということもない。影が薄く、あまり騒がれることがないのである。
デルコンピュータの社長がマイケル・デルで、もともとデルコンピュータというのは社長のマイケル・デルが自分の名前を付けたものだということも、案外知らない人が多いかもしれない。
マイケル・デルの邸宅はテキサス州オースチンの郊外にあって、60エーカー(1エーカーは4047平方メートル)の土地、2万2000平方フィートの建坪がある。丘の上にそびえる邸宅は4階建てで、バウハウス風かつ宇宙船風、およびコミュニティカレッジ風であるといわれている。どういう建物を想像したらよいのだろう?
マイケル・デルの邸宅にはベッドルームが21室(10室という説もある)、会議室、ジム、ランニングトラックが備わり、プールが2つある。固定資産の査定では2250万ドルの大邸宅であるが、マイケル・デルは500万ドルから600万ドルの価値しかないと主張して固定資産税に関して争う姿勢を見せている。
建物の内部に関する記述は報道によってさまざまである。マイケル・デルは自己の家に関してはあまり語りたがらない。むしろ嫌がるといわれている。子どもも何人かいることが分かっているし妻もいるが、あまり表面に出ない。
この点、マイケル・デルの邸宅に倍する4万平方フィート、5300万ドルの大邸宅を持つビル・ゲイツは対照的に多弁である。自分の大邸宅について『ビル・ゲイツ未来を語る』(西和彦訳、アスキー刊)に詳しく書いているし、テレビでも妻に自宅紹介をさせたりしている。
ともかくこの大邸宅からマイケル・デルはメルセデス・ベンツ500SLに乗って自分の会社デルコンピュータに出勤するのである。
マイケル・デルはテキサス州ヒューストンの近くで生まれた。父親は歯科矯正医で母親はブローカーであった。12歳のとき通信販売方式で切手の収集を始め、そのコレクションを競売にかけて2000ドルをもうけたといわれている(1000ドルという説もある)。恐るべき神童である。親が手伝っていたのではないかと思うが。
高校時代、ヒューストン・ポスト紙の新規購読者勧誘業務を始め、なんと1万8000ドルももうけてBMWを買った。マイケル・デルが秀逸なのは、新規購読者になる確率の最も高いのは新婚家庭と目を付け、市役所へ行って新婚家庭のリストを手にしたことである。アイデアと行動力に優れている。こうして得た新婚家庭のリストをアップルIIeに打ち込んで新規購読者勧誘を有利に進めたのである。このような点が並の人間と違うところだ。
マイケル・デルの両親は彼に医者になってほしいと思っていた。1983年にテキサス大学に入学した。専攻は生物学であった。
大学に入るとマイケル・デルはアップルIIeをIBM PCと交換した。IBM PCを手にすることで、IBM PCの問題点が分かったようだ。当時のIBM PCは純正製品を使っており、周辺機器やメモリのアップグレードにお金がかかり過ぎていた。また、IBMはディーラーに販売許容量以上の在庫を押し付けていた。これらのIBM PCは過剰在庫となってディーラーを苦しめていた。マイケル・デルはディーラーの過剰在庫のIBM PCを格安で引き取った。引き取っただけでなく、それらのIBM PCをユーザーの注文を受けて強化し、格安で売った。法律事務所や中小企業を文字どおり1軒ずつ訪ね歩いたという。
1年生の終わりにマイケル・デルは両親に「大学をやめてパソコンビジネスに専念したい」と告げた。両親はびっくり仰天したがパソコンビジネスに失敗したら大学に戻るという条件で許可した。こうして1984年、19歳のとき、テキサス大学の寄宿舎の一室でマイケル・デルのコンピュータ会社PCリミテッドが1000ドルの資金で設立された。
ところが両親の期待に反してマイケル・デルのパソコンビジネスはあまりにうまくいきすぎた。ビジネスは順調で、最初の1カ月で18万ドルを売り上げるという大成功を収めてしまった。これではもう後戻りはできない。マイケル・デルは大学からドロップアウトすることになった。生物学で学士号を取ることはできず、高卒になってしまったのである。
本連載は、2002年 ソフトバンク パブリッシング(現ソフトバンク クリエイティブ)刊行の書籍『IT業界の開拓者たち』を、著者である脇英世氏の許可を得て転載しており、内容は当時のものです。 |
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