自分戦略研究所 | 自分戦略研究室 | キャリア実現研究室 | スキル創造研究室 | コミュニティ活動支援室 | エンジニアライフ | ITトレメ | 転職サーチ | 派遣Plus |

IT業界の開拓者たち

第33回 帝国を作り上げた3人の男たち

脇英世
2009/3/25

第32回1 2次のページ

本連載を初めて読む人へ:先行き不透明な時代をITエンジニアとして生き抜くためには、何が必要なのでしょうか。それを学ぶ1つの手段として、わたしたちはIT業界で活躍してきた人々の偉業を知ることが有効だと考えます。本連載では、IT業界を切り開いた117人の先駆者たちの姿を紹介します。普段は触れる機会の少ないIT業界の歴史を知り、より誇りを持って仕事に取り組む一助としていただければ幸いです。(編集部)

本連載は、2002年 ソフトバンク パブリッシング(現ソフトバンク クリエイティブ)刊行の書籍『IT業界の開拓者たち』を、著者である脇英世氏の許可を得て転載しており、内容は当時のものです。

アンドリュー・グローブ(Andrew Grove)――
インテル会長兼CEO

 シリコンバレーの興亡を語るうえで、インテルの話を抜きにすることはできない。インテルの成り立ちは、半導体の歴史そのものである。インテルには創立以来ゴードン・ムーア、ロバート・ノイス、アンドリュー・グローブというスターがいた。彼らはいかにしてインテルをCPUのリーディングカンパニーにしたのだろうか。

 ロバート・ノイスは1927年アイオワ州に生まれ、1990年惜しくも63歳で亡くなった。ゴードン・ムーアは1928年カリフォルニア州サンフランシスコに生まれ、アンドリュー・グローブは1936年ハンガリーで生まれた。

 ここまで説明して気が付くことはないだろうか。インテルの創業者たちは、パソコン業界としては高齢である。ビル・ゲイツをはじめとするパソコン業界の創業者や経営者が1950年代前後の生まれであるのに比較すると高齢である。パソコンに限らず米国のコンピュータ業界に範囲を広げてもそうだ。

 インテルという会社はフェアチャイルド・セミコンダクタという会社を飛び出したロバート・ノイスとゴードン・ムーアによって創立された。フェアチャイルド・セミコンダクタという会社は、ショックレー半導体研究所を飛び出した裏切り者の8人によって設立された。

 トランジスタは1947年、AT&Tベル研究所のジョン・バーディン、ウォルター・ブラッテン、ウィリアム・ショックレーの3人によって発明された。

 1955年、トランジスタの発明者としてのウィリアム・ショックレーは野心に燃えていた。トランジスタの事業化を目指し、全米から俊秀をスカウトして、シリコンバレーのパロアルトにショックレー半導体研究所をつくった。この中にMITで博士号を取得したロバート・ノイス、カリフォルニア工科大学で物理と化学を専攻し、両方の博士号を持つゴードン・ムーアがいた。

 1956年、バーディン、ブラッテン、ショックレーの3人はノーベル物理学賞を受ける。ノーベル賞という栄誉に輝き、ショックレー半導体研究所は隆盛に向かうはずだったが、実情はそうではなかった。ショックレーは頑固でビジネスのセンスがなかった。ショックレーの集めた俊秀たちは、ショックレーに見切りをつけ、カメラ会社のフェアチャイルドに資金を提供してもらい、フェアチャイルド・セミコンダクタをつくった。ショックレーは俊秀たちを「裏切り者の8人」と呼び、決して許さなかった。

 「裏切り者の8人」の首領格がロバート・ノイスである。ショックレーは次第に忘れ去られ、数々の奇行でたまに報道されるだけの人になる。そして、半導体を製造する子会社のフェアチャイルド・セミコンダクタの方が親会社のフェアチャイルドより有名になる。

 フェアチャイルド・セミコンダクタは設立後、ひっきりなしにスピンオフと呼ばれる転職者を出した。シリコンバレーの有名な半導体会社のほとんどがフェアチャイルド・セミコンダクタから派生したという冗談すらあるくらいである。

 1967年、フェアチャイルド・セミコンダクタからナショナル・セミコンダクタへ大量のスピンオフが出た。このチャンスに、裏切り者の8人の首領とされた40歳のロバート・ノイスと39歳のゴードン・ムーアはスピンオフを敢行し、次の年インテルをつくった。チャンスを狙っていたふしがある。設立資金としてはノイスとムーアがそれぞれ24万5000ドルを用意し、ベンチャーキャピタルのアーサー・ロックが250万ドルを出資した。ノイスとムーアはこのとき31歳のアンドリュー・グローブを誘った。

 アンドリュー・グローブは1936年ハンガリーのブダペストに生まれた。10代のころはジャーナリストを志していたといわれる。意外にも、演劇も志望していたらしい。ソ連の軍事介入を招いたハンガリー動乱の翌年1957年に、アンドリュー・グローブはポケットに20ドルを入れただけで祖国ハンガリーを捨て、米国に渡った。アンドリュー・グローブという名前は、米国へ渡ったときに本名のアンドラス・グローブを英語風に変えた名前である。

 アンドリュー・グローブはニューヨーク市立大学で化学工学の学士号を取った後、1963年カリフォルニア州立大学バークレー校から流体力学でPh.Dの学位を取る。就職しようとしても半導体に無関係な流体力学では、なかなかシリコンバレーになじめなかったらしい。フェアチャイルド・セミコンダクタのノイスやムーアが、アンドリュー・グローブを拾い上げる。

 現在でもアンドリュー・グローブは、ことあるごとにアンドリュー・グローブ博士という称号を使うようだが、学位は半導体とは関係がない。

本連載は、2002年 ソフトバンク パブリッシング(現ソフトバンク クリエイティブ)刊行の書籍『IT業界の開拓者たち』を、著者である脇英世氏の許可を得て転載しており、内容は当時のものです。

第32回1 2次のページ


» @IT自分戦略研究所 トップページへ

自分戦略研究所、フォーラム化のお知らせ

@IT自分戦略研究所は2014年2月、@ITのフォーラムになりました。

現在ご覧いただいている記事は、既掲載記事をアーカイブ化したものです。新着記事は、 新しくなったトップページよりご覧ください。

これからも、@IT自分戦略研究所をよろしくお願いいたします。