第34回 インテルの新しい帝王
脇英世
2009/3/26
クレイグ・バレットは順調に出世コースを歩んだ。1984年に副社長、1987年に上級副社長、1990年に執行副社長、1993年にはCOO(Chief Operating Officer)になり、1997年5月に社長就任、さらに1998年3月26日、CEOに就任した。
経歴を読んでいて感じることが1つある。一般論として挫折の経験があることが必ずしも良いこととは思わないが、クレイグ・バレットの問題は挫折の経験がほとんどないことである。
さて、クレイグ・バレットのインテルでの日常は、同社の伝統にのっとって非常につましい。重役専用車は持っておらず、従って専属運転手もいない。クレイグ・バレットは自分で自動車を運転しているが、重役専用の駐車スペースは持っていない。重役専用車を持たないくらいだから、米国では当たり前の重役専用ジェット機も持っていない。社内には特別な重役室もない。ほかの社員と同じ普通のキュービック空間があるだけである。ただし、クレイグ・バレット個人の生活がつましく謙虚かというと、これはそうでもないようだ。
クレイグ・バレットは1980年代からアリゾナ州のパラダイスバレーに住んでいる。これは1980年代にアリゾナ州のインテルの工場に赴任したからそうなったのである。
クレイグ・バレットはアリゾナ州のパラダイスバレーからインテルの本社のあるカリフォルニア州のサンタクララに週3日出てくる。電子メールはあるし、これで不都合はないとインテルは公式にはいっている。ただ実際には不都合もあるだろう。
またクレイグ・バレットはモンタナ州にも保養地を持っていて、フライフィッシング、乗馬、サイクリング、スキー、スノーモービル、ハイキング、四輪駆動車のハマーのドライブなどを楽しんでいる。多趣味で生活を楽しむタイプである。
離婚を一度経験していて、現在のバーバラ夫人とは1980年代フェニックス近くの山にハイキングに出かけたときに出会った。バーバラ夫人は資産家で、ハイパー航空機の顧問弁護士と重役を務めている。また、夫人は共和党員で、1994年アリゾナ州知事選に立候補し、破れた。1億円以上の選挙資金を自分の財布から出したというからたいしたものだ。ワシントンの政界とのつきあいは戦闘的なアンドリュー・グローブよりも、穏健な夫人経由で政界とのパイプを持つクレイグ・バレットの方が向いているという見方もある。
クレイグ・バレットは身長6フィート2インチの大男で、がっしりした体格から、フットボールのコーチのようだとよくいわれる。人当たりは柔らかい。アンドリュー・グローブのように好戦的ではない。AMDとインテルの長年の確執を解決したのは、柔らかさと穏健さを売り物にするクレイグ・バレットの功績であるといわれている。
しかし、クレイグ・バレットは外面的には柔らかく穏健ではあっても、倣慢、独善、強圧的だという批判もある。インテル社内ではアンドリュー・グローブの提唱した建設的批判という激しい論争の気風がある。これによって、上も下もなく激しい論争を行えるのだが、クレイグ・バレットにいわせると「わたし自身には22票ある。きみたちには21票ある。それが民主主義だ」ということで、ワンマンなのである。あくまで自分の意志を貫き通すといわれている。
クレイグ・バレットは体力には自信があり、その方面の伝説に事欠かない。ユタ州からメキシコまで900キロの道程をバイクで走破したことがあるという。並の体力ではない。また階段を上るときは誰よりも速く上るという。うそか本当か分からないが、クレイグ・バレットの語るところによればアンドリュー・グローブがクレイグ・バレットの仕事のレビューを書いたとき、これに不満なクレイグ・バレットは机をひっくり返し投げつけた。これに脅えたアンドリュー・グローブは自分でレビューを書き直したという。アンドリュー・グローブも恐れる男というわけである。
クレイグ・バレットは太っ腹である。発言も鷹揚だ。しかし鷹揚さは時として高くつく。
1996年8月、ウォール・ストリート・ジャーナル紙とのインタビューで、クレイグ・バレットは次のような不注意な発言をしてしまった。
「新しいコンピュータ開発グループを作ったのは、メインフレームやミニコンピュータの時代のように、他社のコンピュータアーキテクチャをコピーする時代が終わったからだ」
つまりインテルは、他社のアーキテクチャをコピーしていると受け取られかねない発言をした。アンドリュー・グローブもこのとき、軽はずみな失言をした。
「当社のために他社が研究や開発をしてくれるのを、もはや当てにするわけにはいかない」
これらの発言がもとで、かねてインテルがアルファのコピーをやっているのではないかと不満を持っていたDECのロバート・パーマーが怒りだした。そこで突如DECは、インテルのペンティアムプロがDECのアルファの特許権を侵害しているとして訴訟を起こした。最初はDECがインテルを独占禁止法違反で訴えると声明したので、何だかさっぱり分からなかったが、背景を知るとそうかと思う。
1997年6月、両社の中間の中西部でクレイグ・バレットとロバート・パーマーが秘密裏に会って、交渉を進めた。クレイグ・バレットは交渉が得意なのである。
交渉の結果、1997年10月、両社は和解に合意した。和解の主な内容は次のようになる。
- 両社は10年間特許のクロスライセンス協定に入る
- インテルはDECの半導体部門を7億ドルで買収する
- DECはアルファの設計チームを手元に置く
しかし、和解にこぎ着けたものの、インテルの負担は総額で14億ドル(当時1800億円)程度に達した。たった2言がずいぶん高くついた。
インテルのこれからの課題は、独占禁止法との対決である。インテルは市場の9割程度を押さえているのだから、独占禁止法訴訟が起こされるのは時間の問題である。慎重に対処すべきなのだが、クレイグ・バレットはわりに軽い発言をしている。
「米国の特許のシステムは発明者の独占を保証している」
これは無謀な論理で、特許を盾にしても独占は合法とはされない。むしろ特許を盾にして独占を強行したら、独占禁止法に抵触する。実際、クレイグ・バレットのこの発言がもとで、FTC(連邦取引委員会)はインテルが独占禁止法に抵触していないかどうかの調査を強化したといわれている。
インテルの次の時代を担うのはクレイグ・バレットであるが、アンドリュー・グローブとはずいぶん違う個性の持ち主だと驚かされる。
■補足
クレイグ・バレットの課題はいくつかある。1つは62歳という年齢である。アンドリュー・グローブの方が66歳と高齢だが、むしろ年齢を感じさせない。写真を見るとクレイグ・バレットはずいぶん老けたなという感じがする。またクレイグ・バレットはグローブの影にいつも覆われてしまうという感じがある。
もう1つは買収戦略の決着の問題である。ここ数年インテルは1兆数千億円にも及ぶ企業買収を繰り返してきた。それがネット・バブルの崩壊でかなりの損害を出した。これをどう始末をつけるのか難しい問題であるといえよう。
本連載は、2002年 ソフトバンク パブリッシング(現ソフトバンク クリエイティブ)刊行の書籍『IT業界の開拓者たち』を、著者である脇英世氏の許可を得て転載しており、内容は当時のものです。 |
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