第39回 偉大なディレクター
脇英世
2009/4/3
本連載を初めて読む人へ:先行き不透明な時代をITエンジニアとして生き抜くためには、何が必要なのでしょうか。それを学ぶ1つの手段として、わたしたちはIT業界で活躍してきた人々の偉業を知ることが有効だと考えます。本連載では、IT業界を切り開いた117人の先駆者たちの姿を紹介します。普段は触れる機会の少ないIT業界の歴史を知り、より誇りを持って仕事に取り組む一助としていただければ幸いです。(編集部) |
本連載は、2002年 ソフトバンク パブリッシング(現ソフトバンク クリエイティブ)刊行の書籍『IT業界の開拓者たち』を、著者である脇英世氏の許可を得て転載しており、内容は当時のものです。 |
J・C・R・リックライダー(J.C.R.Licklider)――
ARPA初代IPTO部長
インターネットは米国国防総省のARPAの通信ネットワークがもととなっている。そのARPAの中心的人物だったのがJ・C・R・リックライダーだ。彼が直接手掛けたわけではないが、その影響力は大きいといえるだろう。また、対話型コンピュータというコンセプトを広めるのに力があった。最初のDECのコンピュータは、ある意味このコンセプトに基づいていた。
J・C・R・リックライダーはインターネットの歴史には必ず登場してくる人物だが、彼は極めて異色の人だ。どんなに変わった人であるかは講演のやり方でも分かる。こんな具合である。
「当時、わたしの家族とわたしはニューヨーク州のキスコ山から1マイルくらい離れた所に住んでいた。(そんな辺ぴな所だから)カクテルを傾ける相手とてほとんどなく、ある日わたしの妻はジンが切れているのに気付いてわたしを村にやった。多分時間は十分あったのだと思う。わたしは運動しなくてはならなかったので、歩いて行けると考えたことを覚えているからだ。しかしわたしは近道を通って行きたいと思った。ちょうど少し暗くなってきたので共同墓地を通る近道を選んだ。そこで手短にいえば、わたしは墓穴に落っこちた。墓穴はかなり深くて這い登ろうとしたが、泥がわたしの上に落っこちてくるばかりだ。こんなやり方じゃあ脱出できない。座って考えるべきだということを理解した。そこでわたしは墓穴の端の方へ行って座り、ちょっとの間、じっくり考えた。
ほどなくドスンという音がして、もう1人の男が同じ墓穴に落ち込んだ。彼は反対の方向を見ていて、わたしの方を見なかった。その男はわたしより興奮しやすい性質だった。彼は飛び跳ねながら叫んでいた。そこでわたしはいった『気を付けろ、心臓麻痺を起こすぞ』。男はびっくりして墓から飛び出した。彼の踵がわたしの顎をけり、わたしの顎が折れた」
これが酒席の話なら分からないでもない。しかし、これは米国計算機学会における、ワークステーションの歴史の講演なのである。
本人は「自分はワークステーションの発明者だ」といっている。この強烈な個性を持つ人物の業績は多岐にわたり、自ら自分の業績について総括してもらった方が楽なくらいだが、リックライダーをワークステーションの発明者というのは正しくないだろう。コンピュータ・ネットワークと対話型コンピューティングの福音を広めたエバンジェリスト(伝道者)という方が正確だと思う。
J・C・R・リックライダーは、1915年3月11日ミズーリ州セントルイスに生まれた。J・C・Rとは、ジョセフ・カール・ロブネットの略である。彼の父は貧しい農民から身をおこして商人となり、保険会社を経営した。バプテスト教会で牧師も務めたらしい。少年時代のリックライダーについては、模型飛行機に熱中した。運転免許の取れる16歳になると自動車に熱中。廃車を買ってもらい、分解と組み立てを繰り返した。夢は科学者になることだった。これも、米国のありふれたちょっと頭のいい少年の姿だろう。
高校を卒業すると、ミズーリ州のワシントン大学に進んだ。しかし、2年生のときに父の保険会社が倒産し、学費が払えなくなった。1年間休学し、ドライブインでアルバイトをして学費を稼ぎ復学。アルバイトで心理学科の実験用動物の世話をしながら勉強した。これが彼に心理学への接近と猫好きをもたらしたらしい。
リックライダーの興味は化学、物理、美術、心理学に及んだが、心理学科、数学科、物理学科の3学科を卒業した。
リックライダーは1937年にワシントン大学の大学院心理学科に進み、翌年の1938年には修士課程を終えたようだ。修士論文は猫の集団と睡眠について。博士課程はロチェスター大学。1942年に修了しPh.Dを取得。博士論文のタイトルは「猫の聴覚皮質での周波数局在に関する電気的研究」。猫が好きな人である。
博士号取得後、すぐスワスモア大学の準研究員としてゲシュタルト心理学を研究する予定になっていた。ところが、1つの偶然が彼の生涯を変えた。1942年夏、新設されたハーバード大学心理音響学研究所が所員を募集していたので勇んで応じた。この心理音響学研究所は、戦争に際して実際的な音響学の研究が必要だとする空軍によって設立されたばかりであった。
リックライダーの研究テーマは「受容の理論と音声の理解度」。つまり、音声通信に与える高度の影響や静的な雑音などの無線受信機の受信に与える影響を研究することだった。高度1万メートルを飛行する重爆撃機B-17やB-24の機内で、搭乗員の会話がどんな影響を受けるか、実際に爆撃機に搭乗して研究した。
こうして彼が発見したのは、爆撃機内で、音声をうまく伝えるにはピーク・クリッピングが有効であること、簡単にいえば子音を強調して話すことだった。
薄暗い地下の研究室だったがリックライダーはここで終生の伴侶ルイスと出会う。彼女は当時結婚していたが、1944年に離婚し、翌年彼と再婚した。結婚後も順調で、1946年からハーバードの講師になり、研究のほか統計学や生理学的心理学の講義なども行ったようだ。
その一方で彼は、MITで開かれた夏季研究で潜水艦の探知の研究(ハートウェル計画) や防空研究所の設立研究(チャールズ計画)のような軍事研究にも魅せられて、自ら進んで積極的に参加した。
本連載は、2002年 ソフトバンク パブリッシング(現ソフトバンク クリエイティブ)刊行の書籍『IT業界の開拓者たち』を、著者である脇英世氏の許可を得て転載しており、内容は当時のものです。 |
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