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IT業界の開拓者たち

第45回 インターネットの魔法使い

脇英世
2009/4/13

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本連載を初めて読む人へ:先行き不透明な時代をITエンジニアとして生き抜くためには、何が必要なのでしょうか。それを学ぶ1つの手段として、わたしたちはIT業界で活躍してきた人々の偉業を知ることが有効だと考えます。本連載では、IT業界を切り開いた117人の先駆者たちの姿を紹介します。普段は触れる機会の少ないIT業界の歴史を知り、より誇りを持って仕事に取り組む一助としていただければ幸いです。(編集部)

本連載は、2002年 ソフトバンク パブリッシング(現ソフトバンク クリエイティブ)刊行の書籍『IT業界の開拓者たち』を、著者である脇英世氏の許可を得て転載しており、内容は当時のものです。

クリフォード・ストール(Clifford Stoll)――
『カッコウはコンピュータに卵を産む』著者

 クリフォード・ストールは『カッコウはコンピュータに卵を産む』(池央耿訳、草思社刊)を書いた人として有名である。この本は息をもつかせぬ展開で、迫力がある。わたしも昔、渋谷の紀伊国屋書店でこの本を買った。バスの中で読み始めると、これが面白くてやめられない。そのまま家に帰っても夢中で読み続け、とうとう上下2巻を一気に読まされてしまった。この本はノンフィクションというふれ込みだが、当時もいまもフィクション的な要素を強く感じる。事実でないとはいわないが、むしろ小説的な要素が強いと思うのである。また誰しもそう思うらしい。

 『カッコウはコンピュータに卵を産む』の表紙カバーの裏にクリフォード・ストールの写真が載っている。若く理知的な顔をして、髪の毛は長髪でモジャモジャである。ところが最近出た『インターネットはからっぽの洞窟』(倉骨彰訳、草思社刊)の表紙カバーの写真を見ると、かなり老けて見える。そして印象もまるで違うのである。

 クリフォード・ストールが来日した折、TBSテレビの筑紫哲也氏との対談でブラウン管に登場したのであるが、これにはびっくり仰天してしまった。ものすごくジェスチャーの大きな人で、2枚のどちらの写真の印象とも程遠かった。

 実際に講演を聞いた人のレポートを読むと、ジェスチャーだけでなく、講演中、演壇の上を飛んだり跳ねたり、通路を走り回ったり、演壇の配線の間違いを修理したり、もうそのパフォーマンスは想像を超えるエネルギッシュなものらしい。「クリフォード・ストールとさしの対話」というインタビュー記事を読むと、服はぼろぼろで靴は破れているのだそうだ。

 クリフォード・ストールの略歴に関しては謎の部分が多く、インターネットでいくら調べても、ある程度以上のことは分からない。仕方がないので彼の著書『カッコウはコンピュータに卵を産む』と『インターネットはからっぽの洞窟』の記述の中から自伝的要素を抜き出して再構成してみることにする。

 クリフォード・ストールは1950年、ニューヨーク州のバッファローに生まれ、そこで育った。1964年14歳で中学に入りたてのころ、父親からハンダゴテを使ったラジオ修理技術を教えてもらう。この技術を使って中古のRCAテレビの部品を利用した自作の無線機を組み立てる。無線機が組み上がるとアマチュア無線免許を申請し、免許を取得すると世界各国と交信した。日本の金沢とも交信したという。

 1968年、高校生のころにバッファローに住んでいたことは、カナダとの国境地帯のウィンドミルクウォーリーにバッファローから泳ぎに行った記述のあることから(『カッコウはコンピュータに卵を産む』15章)間違いない。バッファロー大学を卒業しているが、そのことは自著の中には出てこない。またその後、1976年に26歳でアリゾナ州立大学ツーソン校の大学院に入学するまでの数年間の足取りがつかめない。少し経歴にブランクがある。突然アリゾナ州に姿を現すのも謎めいている。

 ともかくトゥーソン校の大学院での博士の学位は、マーティ・トマスコ教授の下で木星大気圏構造のモデル化と解析で取得した。

 1979年ごろ、トゥーソンにいたとき、趣味の洞窟探険の際、捻挫して立ち往生していたところを法律哲学志望のマーサ・マシューズという女性に救助してもらった。それをきっかけに、彼女との交際が始まった。奥さんになる人である。

 クリフォード・ストールはトゥーソン校の大学院で中国語を選択した。中国語のおかげでといっては悪いが、米国科学財団の米中研究者交流プログラムで中国の南京に留学している。中国語は話せただけでなく、読むこともできたらしい。南京ではテン・ダオバン教授と惑星と太陽風の関係について共同研究した。中国や日本のことは非常によく知っている。

 1983年、マーサ・マシューズがバークレーで法律を学ぶために西海岸のバークレーに移ったのを追ってクリフォード・ストールも東海岸から西海岸のバークレーに移り住む。最初からそうであったかどうか分からないが、安定してからの勤務先はローレンス・バークレー研究所天文台であった。1986年9月、研究助成金が切れて天文台には在籍できなくなったので、ローレンス・バークレー研究所コンピュータセンターにまわされた。

 コンピュータセンターで最初の仕事として与えられたのが、課金に75セントの狂いがあることを調査することであった。この調査の物語が大ベストセラー『カッコウはコンピュータに卵を産む』である。

本連載は、2002年 ソフトバンク パブリッシング(現ソフトバンク クリエイティブ)刊行の書籍『IT業界の開拓者たち』を、著者である脇英世氏の許可を得て転載しており、内容は当時のものです。

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