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パソコン創世記


日電PC帝国誕生

富田倫生
2009/9/16

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本連載を初めて読む人へ:先行き不透明な時代をITエンジニアとして生き抜くためには、何が必要なのでしょうか。それを学ぶ1つの手段として、わたしたちはIT業界で活躍してきた人々の偉業を知ることが有効だと考えます。本連載では、日本のパソコン業界黎明期に活躍したさまざまなヒーローを取り上げています。普段は触れる機会の少ない日本のIT業界の歴史を知り、より誇りを持って仕事に取り組む一助としていただければ幸いです。(編集部)

本連載は『パソコン創世記』の著者である富田倫生氏の許可を得て公開しています。「青空文庫」版のテキストファイル(2003年1月16日最終更新)が底本です。「青空文庫収録ファイルの取り扱い規準」に則り、表記の一部を@ITの校正ルールに沿って直しています。例)全角英数字⇒半角英数字、コンピューター⇒コンピュータ など

「マイコン革命、まず幹部から」(1980年12月9日:日本経済新聞)

 「『これからのトップはマイコン(マイクロコンピュータ)ぐらい自由自在に操作できなければダメだ』――日本電気は小林宏治会長の〈鶴の一声〉で幹部全員を対象にしたマイコン勉強会をスタートさせた。「マイコン革命」の推進者を自他ともに認める日電は、これを機に全社的なマイコン派ビジネスマンを養成する教育運動を展開していくことにしている。

 小林会長、関本忠弘社長をはじめ全役員と事業部長、合わせて300人が参加するこのマイコン勉強会は、6日から実施され、来年3月までの毎週土曜と日曜日に開かれる。1回に20人ずつが休みを返上して勉強会出席を義務付けられ、朝9時から夕方5時まで東京・芝の日電第2別館10階の研修室にかんづめになり講義を受ける。日電の個人用マイコンであるパーソナルコンピュータ『PC-8001』が1人に1台あてがわれ、マイコンの使い方、BASIC言語によるプロクラム作成やゴルフゲーム、英文ワードプロセッサ実習など盛り沢山な1日入門コースをこなす。この教育カリキュラムを担当する同社の笹原正隆教育訓練部長によれば、社内にはマイコンの権威は大勢いるが、会長、社長が〈生徒〉ではやりにくいだろうと配慮して、講師は日本情報研究センターの女性インストラクター2人にお願いした、という。

 『マイコン入門』(廣済堂出版)の著者であり、〈ミスター半導体〉の大内淳義副社長や、わが国コンピュータ研究開発の草分けで、ソフトウエア技術の第1人者、水野幸男取締役らも、このマイコン勉強会で若い女性講師の『マイコンの動かし方』『プログラムの作り方』といった実技指導、講義の聞き役に回る。

 なかには一度もマイコンにさわったこともない幹部もいるとかで、事前に手渡された『マイコン操縦法入門』と題するテキストをみながら、実際に社内のマイコンを動かし、予習に取り組む姿がチラホラ目立ち始めている。

  小林会長は『C&C(コンピュータとコミュニケーション=通信の融合)戦略にマイコンは不可欠のもの。マイコンの持つ無限の能力を知るにはまず自分でキーボードをたたき、マイコンを動かしてみることが必要』という。この〈隗(会長?)より始めよ〉式のマイコン勉強会は、来年度から部課長クラスにも実施させることにしており、マイコン操縦法をマスターし、プログラムまで組めることは、これからの日電マンの必須の条件となりそうだ。



■ □ ■

 1980(昭和55)年12月9日付けの日本経済新聞は「マイコン革命、まず幹部から」と題して上のように報じた。前年にPC-8001が発売されて1年数カ月――。

 約1年を経て、日本電気会長小林宏治が「C&Cにマイコンは不可欠」との認識に至るまでには、じつはもう1つのドラマがあったのである。

 「大内君、PC-8001とかいうやつは、君が勝手にやってるらしいね」

 アメリカ出張を終えた小林宏治は、ニヤつきながら大内淳義に声をかけた。

 しかるべき書類も提出し、ショウの会場でも説明してきたはずなのに、どうやらこれまでは、超多忙をきわめる小林の頭には、PC-8001は入っていなかったらしい。せいぜいオフィスコンピュータまでは目がとどいても、パーソナルコンピュータは小林の意識には入っていなかったのである。

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 発売以降、予想を大きく上回って売れはじめたにもかかわらずPC-8001、パーソナルコンピュータは、すぐに日電の社内で認知されたわけではない。

 相変わらずPC-8001を担当していたのは、電子デバイス事業本部のいちセクションにすぎないマイコン販売部であり、デバイス屋が内職で作ったパーソナルコンピュータにはまだまだオモチャ意識がついてまわっていた。ショーの会場で、招待客にPC-8001の説明をしようと手ぐすねひいているマイコン販売部のスタッフの前を客を連れた営業部員が「これはオモチャですから」と素通りさせ、スタッフをくやしがらせることも一度や二度ではなかった。

 小林の頭に、PC-8001がはっきりとは刻み込まれていなかったことも、けっしておかしくはない。日電内でのパーソナルコンピュータに対する認識は、依然その程度のものだったのである。

 その小林は、パーソナルコンピュータの本場であるアメリカで「日本電気の製品を扱いたいのだが」との依頼を受け、目を丸くすることになる。先方の話によれば、その製品とはPC-8001とかいうパーソナルコンピュータなる代物で、「そんなものは知らない」と答えると英文のパンフレットを出してくる。パンフレットには確かに、NECの3文字が入っている。

 このとき初めて、PC-8001は小林の頭に刻み込まれ、アメリカ出張中に、パーソナルコンピュータが何を起こしつつあるかを、小林ははっきりと認識することになる。そして、自らの唱えるC&Cの主役ともなりかねない存在として、パーソナルコンピュータを位置づけるのである。

 「これまでもちゃんと報告してきたのにな――」と内心でぼやいている大内に、小林は追いうちをかけた。

 「それに、君らしくもないじゃないか。いつでまも逃げ腰で続けてるなんて」

 大内は、シャッポを脱いだ。

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