第15回 マイクロソフトのXbox開発責任者
脇英世
2009/2/24
本連載を初めて読む人へ:先行き不透明な時代をITエンジニアとして生き抜くためには、何が必要なのでしょうか。それを学ぶ1つの手段として、わたしたちはIT業界で活躍してきた人々の偉業を知ることが有効だと考えます。本連載では、IT業界を切り開いた117人の先駆者たちの姿を紹介します。普段は触れる機会の少ないIT業界の歴史を知り、より誇りを持って仕事に取り組む一助としていただければ幸いです。(編集部) |
本連載は、2002年 ソフトバンク パブリッシング(現ソフトバンク クリエイティブ)刊行の書籍『IT業界の開拓者たち』を、著者である脇英世氏の許可を得て転載しており、内容は当時のものです。 |
J・アラード(J.Allard)――
マイクロソフトゼネラルマネージャ
マイクロソフトは2001年1月6日、米国ラスベガスで行われた家電の総合展示会であるCES(Consumer Electronics Show)において、家庭用ゲーム機Xboxの本体を初公開した。そんなに早くXboxを開発できるわけがないと思いつつも、やはりビル・ゲイツが自ら基調講演で発表したとなると、多少浮き足立つ。英文でびっしり25ページにも及ぶスピーチの記録を読むと、もっと焦ってしまう。だが考えてみれば、Xboxの開発意向表明は2000年3月10日に行われたばかりであり、まだ9カ月しかたっていない。完成するわけがないのである。デモ画面が実際に動いたとしても、これまでの例では、ほとんどの場合がフェイクであった。今度も多分、普通のウィンドウズマシンでデモを動かしているのだろう。
今秋の発売予定となっているXboxの仕様はいまだに大きく動いている。昨年3月に発表された同機の仕様は次のようであった。
- CPU:600MHz動作のx86互換インテル製CPU
- グラフィックスチップ:300MHz動作のNVIDIA製3Dグラフィックスプロセッサ(専用設計)
- サウンド:3Dオーディオプロセッサ(専用設計)
- メモリ:64MバイトRAM(基板上に搭載)
- ハードディスク:8Gバイト
- DVD-ROMドライブ:読み込み4倍速(DVD-Video再生機能搭載)
- ポート:ゲームコントローラ用ポート×4、USB拡張ポート、カスタムA/Vコネクタ
- ネットワーク100Mbps対応イーサネット
2001年1月には、以上のスペックのうち3点が変更になった。まず、CPUは600MHz動作のインテル製プロセッサということだったが、ペンティアム III 733MHzに強化された。グラフィックスチップは当初300MHz動作と報じられていたが、250MHzに変更となった。また、DVD-ROMドライブが2〜5倍速とされている。
Xboxの開発担当マネージャになっているのが、J・アラードである。この人物は、マイクロソフト内でインターネットに関する伝説を持つ。同社初のFTPサイトは、ネットワークシステムグループのジョン・マーティンにより、1993年初めに作られた。もともとはコンピュサーブにあったFTPサーバを受け継いだものである。そのため、gowinnt.microsoft.comと名付けられた。さらに、これがftp.microsoft.comと名称変更された。
1994年になると、FTPサーバだけでなく、GopherサーバやWebサーバまでサポートが拡張されることになった。マイクロソフト初となるWebの公式なアドミニストレータであるマーク・インガルが、www.microsoft.comとタイプしてみると、驚くべきことに登録していないにもかかわらず、www.microsoft.comはすでに存在していた。そこでマーク・インガルが調査してみると、J・アラードのしわざであることが判明した。J・アラードは、自分で開発した新しいTCP/IPプロトコルスタックをテストするために、www.microsoft.comという名前の付いたWebサーバをすでに立ち上げていたのである。こうした経緯で、J・アラードはマイクロソフトでwww.microsoft.comを最初に作った男、という名誉を担っている。
J・アラード、本名ジェームズ・アラードは1971年生まれである。14歳のとき、親の許しを得て、ニューヨーク州北部のレイ・サプライというコンピュータ・ストアで働くことになった。最初はアップルII用のゲームを作り、続いてMC6809用のゲームを作り、通信販売をした。J・アラードは最初ニューヨークのレンセラー・ポリテクニク・インスティチュートに入ったが、途中でボストン大学に移った。ボストン大学では橋梁工学に興味を感じていた。しかしコンピュータ工学にくら替えしてUNIXを勉強し始めた。ネットワーク・セキュリティにも興味を持ったという。
1991年ボストン大学を卒業することになったJ・アラードは、婚約者のレベッカ・ノーランダーと就職懇談会に行って、マイクロソフトに2人とも入社することになった。入社の8日前に2人は結婚した。J・アラードの髪型はポニー・テールであった。
J・アラードは最初はネイサン・ミアボルドの下について、ビジネス・アプリケーション戦略と開発を担当させられたが、LANマネージャ関係に転出することになった。特にマイクロソフトがまったく苦手としていたTCP/IPを担当することになったが、当時のマイクロソフト幹部はTCP/IPのことを「TCピップ」と呼んだりしてまったく無知であったらしい。
ともかくJ・アラードはインターネット関係の研究開発に従事した。特にTCP/IPとりわけソケット(Socket)の開発を行っていた。『マイクロソフト・システム・ジャーナル』の1993年7月号にウィンドウズ用のソケットAPIについて書いたJ・アラードの論文が見つかる。
J・アラードはマイクロソフトのインターネット戦略に大きくかかわり、1995年に勃発したネットスケープとの戦いの際、ネットスケープを訪問した交渉団の1人に加わって、発言していた。その後はウィンドウズ DNAのジェネラルマネージャとなり、1998年にはウィンドウズ DNAのXMLに関係していた。翌1999年には一時期長期休暇を取ったため、退職かと騒がれたが、これは本当に休暇であったようである。
休暇を終えてマイクロソフトに戻ってきたJ・アラードは、何か大きなことをやろうと考えた。そこで、自分のルーツでもあるゲーム専用マシンを開発することとし、Xboxプロジェクトを立ち上げることにした。
Xboxの特徴はハードディスクとネットワーク機能の標準装備である。北米版のプレイステーション2には、オプションのハードディスクやイーサネットアダプタを接続するための拡張ベイが用意されているが、標準仕様でこれらのデバイスを内蔵するというアイデアは、これまでのゲームマシンになかったコンセプトである。かなり乱暴な扱いを受ける可能性のあるゲームマシンの環境に、衝撃に弱いハードディスクが耐えられるものかどうか注目される。こればかりは、実際にやってみないと分からないだろう。Xbox用のハードディスクは、シーゲートやウエスタン・デジタルが提供する契約を結んでいる。100BASE-TX対応のイーサネット機能を内蔵したことは、ネットワーク開発者としてのJ・アラードにとって、面目躍如たるものがある。私自身もUSBは無駄だと考えており、イーサネットでインターフェイスを統一した設計には引かれるものがある。ただし、マーケティングからの圧力により最終的にはUSBを装備することになるかもしれない。
本連載は、2002年 ソフトバンク パブリッシング(現ソフトバンク クリエイティブ)刊行の書籍『IT業界の開拓者たち』を、著者である脇英世氏の許可を得て転載しており、内容は当時のものです。 |
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