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第12回 Yoshiori――「java-jaで『内輪』を広げたい」

岑康貴(@IT自分戦略研究所)
2009/4/30

エンジニアにとって仲間とはどういう存在なのだろうか。極端なことをいえば、自分1人で作業が完結できてしまうエンジニアにとって、仲間とのコミュニケーションにはどんな意味があるのか。エンジニア同士のネットワークを通じて、エンジニアにとっての仲間とは何かを探る。

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 赤い髪に青いサングラス。独特な雰囲気を持つ彼は、とても優しい口調で、コミュニティについて語ってくれた。

 「広がれ エンジニアの輪」第12回は、「Yoshiori」というIDで知られる、ドワンゴの庄司嘉織氏に迫る。

 前回のひがやすを氏(参考:ひがやすを――Seasarと「ひがやすを飲み会」)が紹介してくれた庄司氏は、Javaコミュニティ「java-ja」の代表として知られている。2008年9月に開催されたイベント「エンジニアの未来サミット」の第2部に登壇し、「ネガティブなことばかりいっている人のいうことなんて聞かないで、一緒にIT業界を明るくしていこう」という力強い言葉を会場に投げ掛けた庄司氏に、「エンジニアとコミュニティ」について話を聞いた。

コミュニティでのつながりと転職

 庄司氏は2009年3月にドワンゴに転職した。現在は基幹システムのリプレースに携わっている。

 「前の会社を辞めるに当たって、以前からcojiさん(ドワンゴの溝口浩二氏。参考:溝口浩二――コードを愛する「動画中継職人」)に『ウチに来なよ』って誘われていたのもあって、受けてみたんです」

 溝口氏とは1000speakersで知り合ったという。コミュニティ活動が転職につながっている例だ。

 もともとはサポートの仕事をしていた庄司氏。2000年問題を乗り越えたことで燃え尽きた、と当時を振り返る。

 「2000年問題は本当に大変でした。各地に設置された某社端末を移動しながら200台近くを全部入れ替えたり。すべてが終わって、燃え尽きちゃったんですよね。もっとクリエイティブなことがしたいなあ、と思うようになりました」

 クリエイティブなことがしたい、プログラマになろう。そう決意したのが25歳のとき。プログラミングの経験は、まったくなかった。

ドワンゴ 研究開発本部 総合情報システム開発部
庄司嘉織氏

Javaコミュニティは「硬かった」

 プログラマとなり、いくつかの会社を渡ってきた庄司氏。選んだ言語はJavaだった。庄司氏はJavaについて、次のように語る。

 「プログラミング言語に限らず、言語というのは、使っている母数が大きい方が有利だと思っています。人とコミュニケーションの取れる割合が大きい言語というのは、それだけでメリット。(自然言語では)英語がそうですよね」

 Javaもまた、使用しているエンジニアの多い言語だ。だが、Javaコミュニティに関しては、少し不満があった。

 「Javaのコミュニティというのは、昔からたくさんあるんですよね。でも、すごくきっちりとしたビジネス系のコミュニティが多かったんです」

 いわゆる「スーツ」的なコミュニティが多かったという。また、Javaについてメーリングリストで質問をするのが怖かった、とも話す。

 「何か質問を投げると、『このページ、全部目を通してから質問して』と返されちゃう。ボコボコにたたかれているログなんかもあって、質問するのが怖いなあ、という雰囲気だったんですよ」

 そんな中、インターネット協会(IAjapan)Java研究部会と日本サン・ユーザ・グループ(NSUG)が「Javaナイトセミナー」を開催する。お酒を片手に技術を語り合うという、Java系のイベントにしては柔らかい雰囲気。「これなら面白そう」と、庄司氏は第1回(2006年12月21日)から参加した。

 そして2007年1月24日、第2回に参加した庄司氏に転機が訪れる。第2回の講師は、ひが氏だったのである。

ひが氏との会話から生まれた「java-ja」

 懇親会で、ひが氏とJavaコミュニティについて話していた庄司氏。

 「いまのJavaコミュニティは硬過ぎる、初心者が入りづらい、ということを話していたんです。もっと柔らかくて、Javaエンジニアが気軽に話せる場所が欲しい、と。そうしたら、ひがさんが『じゃあ(庄司氏が)作ればいいじゃん』っていったんですよ」

 最初は「何いってるんだろう」と思った、と庄司氏は語る。自分が作っても、誰も入ってこないのではないか、と。

 だが、それでもIRCのチャンネルを立ち上げ、少しずつ活動を始めた。Javaコミュニティ「java-ja」の立ち上げである。最初はあまり人が集まらなかったが、それでも徐々に広まっていくのを実感していたという。

 「ちょうどTwitterがはやり始めたころで、知らない人がjava-jaの話をしているのを見掛けて。ちょっとずつ認知されてるのかな、と思いました」

 現在、メーリングリストに登録しているのは300人から400人ほど(庄司氏も正確に把握していないそうだ)。イベントを開催すると「70人くらいは集まる」という規模にまで広がった。

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