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IT業界の開拓者たち

第11回 マイクロソフトの法王

脇英世
2009/2/18

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本連載を初めて読む人へ:先行き不透明な時代をITエンジニアとして生き抜くためには、何が必要なのでしょうか。それを学ぶ1つの手段として、わたしたちはIT業界で活躍してきた人々の偉業を知ることが有効だと考えます。本連載では、IT業界を切り開いた117人の先駆者たちの姿を紹介します。普段は触れる機会の少ないIT業界の歴史を知り、より誇りを持って仕事に取り組む一助としていただければ幸いです。(編集部)

本連載は、2002年 ソフトバンク パブリッシング(現ソフトバンク クリエイティブ)刊行の書籍『IT業界の開拓者たち』を、著者である脇英世氏の許可を得て転載しており、内容は当時のものです。

ウィリアム・H・ニューコム(William “Bill” H. Newkom)――
マイクロソフト上級副社長

 マイクロソフトには、ビルと呼ぶことのできる有名人が2人存在する。そのうちの1人は、もちろんビル・ゲイツだが、もう1人はビル・ニューコムである。ビルはウィリアムの愛称として知られているが、2人目のビル、すなわちウィリアム・ニューコムのことをビル・ニューコムと呼ぶ人は少ない。

 ウィリアム・ニューコムは、マイクロソフトで法務および総務部門を担当する上級副社長であり、1942年生まれの59歳である。祖父はノーザン・パシフィック鉄道の弁護士であり、父はマッキンゼー・アンド・カンパニーのサンフランシスコ事務所を開設した。名門の出身である。

 サン・マテオ高校を主席に近い成績で卒業し、1964年にダートマス・カレッジの哲学科を卒業、1967年にはスタンフォード大学で法学修士号を得た。その風貌は、波打つ髪に、精悍(せいかん)なマスク、長身なうえに体格もがっしりとしていて、堂々たる風格である。しかも、Tシャツにジーンズという格好が半ば制服化しているイメージがある米マイクロソフトの社内で、ウィリアム・ニューコムはスーツで身を固めているという。ホワイトシャツにサスペンダーをかけ、首には蝶ネクタイを締めるという、フォーマルな格好をしているのである。ビル・ゲイツとは反対のタイプといえよう。3回結婚している。

 独占禁止法訴訟を抱えたマイクロソフトでは、ウィリアム・ニューコムの力が次第に増加してきている。

 法務および総務部門における弁護士とスタッフ数のデータを見てみよう。

  • 1997年4月:弁護士82人

  • 1998年4月:弁護士90人、スタッフ300人

  • 1998年8月:弁護士120人、スタッフ350人

 こうして見ると、かなりのハイペースで弁護士とスタッフの数が増加している。マイクロソフトの分割がうわさされる現在(2001年)では、おそらくこれ以上に増員されていることだろう。また、マイクロソフトの法務部門が独占禁止法訴訟のために提出している証拠書類は膨大なもので、1つの書類で1000ページというものもざらである。それを何百と繰り出せるのだから、相当の予算が注ぎ込まれているに違いない。掌握する人数と予算を考慮すると、マイクロソフトにおけるウィリアム・ニューコムの権力は、ビル・ゲイツ、スティーブ・バルマーに次いで第3位であるともいわれている。

 1979年、ウィリアム・ニューコムは、シドラー、マクブルーム、ゲイツ&ルーカス法律事務所(現在のプレストン、ゲイツ&エリス法律事務所)にやってきた。それ以前の経歴を知ることはできない。どうやらインタビュー嫌いらしく、申し込みを拒絶されたという話をよく聞く。仕事以外の人間的な一面、例えば「レモネードを飲み、ダブルチョコレートチップクッキーを食べた」というような情報が非常に少ないのは残念である。

 とはいえ、ユニークなエピソードがないわけではなく、『マイクロソフト帝国裁かれる闇』(ウェンディ・ゴールドマン・ローム著、倉骨彰訳、草思社)では、ステファニー・レイチェルというマイクロソフトの美人女性社員をめぐってビル・ゲイツと争ったことになっている。しかし、こうした話の真偽はよく分からない。記録上では、ウィリアム・ニューコムは1972年から1973年にシアトル・キング郡法曹協会の青年弁護士会議長を務め、1977年から1978年には米国法曹協会の青年弁護士会議長となっているので、弁護士一筋でまい進してきたようである。

 さて伝説では、シドラー、マクブルーム、ゲイツ&ルーカス法律事務所への入所当時、ニューメキシコ州のアルバカーキから戻ってきたマイクロソフトのため、シアトルにあるビルの一室を借りる賃貸借契約の交渉に当たってほしいと、ビル・ゲイツの父親から頼まれたことになっている。1979年、マイクロソフトの社員数はわずか12人足らずで、ビル・ゲイツの希望は24時間いつでも建物に出入りができ、かつ24時間働けることであったという。

 だが、この話はビル・ゲイツの父親自身が語るところによれば、正確ではないらしい。ウィリアム・ニューコムが次第にマイクロソフトに近づいていき、その際にビル・ゲイツの父親が介在したのが事実であるという。ビル・ゲイツの父親によると、ウィリアム・ニューコムの戦闘的なビジネススタイルが、ビル・ゲイツの仕事ぶりにマッチすると考えたかららしい。

 なお、翌年の1980年、ウィリアム・ニューコムは民主党推薦でワシントン州の検事総長に立候補しているが、落選している。

本連載は、2002年 ソフトバンク パブリッシング(現ソフトバンク クリエイティブ)刊行の書籍『IT業界の開拓者たち』を、著者である脇英世氏の許可を得て転載しており、内容は当時のものです。

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