「転職には興味があるが、自分のスキルの生かし方が分からない」「自分にはどんなキャリアチェンジの可能性があるのだろうか?」――読者の悩みに応えるべく、さまざまな業種・職種への転職を成功させたITエンジニアたちにインタビューを行った。あなた自身のキャリアプラニングに、ぜひ役立ててほしい。 |
第9回 TOEIC 550点でブリッジSEに挑戦。海外との「橋渡し」に必要なものとは
今回のテーマ:システム開発エンジニアから、ブリッジSEへの転職 | ||
●転職者プロフィール ゾーホージャパン株式会社 ManageEngine事業 マネージャー 吉村明洋さん(36歳、転職6年目) 【仕事内容】 生命保険会社のホスト系システム開発 → 証券会社のオープン系システムの 構築・運用管理・サポート → ネットワーク監視製品の 海外開発拠点との調整・ ローカライズ・販促・サポート |
グローバル化が加速するIT業界において、海外志向が強いITエンジニアの活躍のチャンスは広がっている。だが、これまで日本人相手としか仕事をしたことがない人は、実際にどれほどの語学力が求められるのか、現場ではどんなスキルが求められるのか、イメージしにくい部分があるだろう。
今回紹介する吉村明洋さん(36歳)は、クラウド型ソリューション「Zoho」や企業向けネットワーク監視製品「ManageEngine」を展開する『ゾーホージャパン株式会社』にて、ブリッジSEとして活躍するITエンジニアだ。もともとは金融機関のシステム子会社2社でSEとして勤務していたが、新たなチャレンジの場を求めて、2005年に同社に転職。言葉や文化が異なる海外との橋渡しをしながら、プロジェクトを円滑に進めていくブリッジSEとしてのキャリアをスタートさせた。
「それまで英語を使って仕事をしたことはなかった」と語る吉村さん。転職を決意した理由や、ブリッジSEとしての仕事内容とやりがいについて話を聞いた。
金融機関でホスト系・オープン系のシステム開発を経験 自分の軸となるスキルを習得しようと転職を決意 |
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1996年に大学の法学部を卒業し、生命保険会社のシステム子会社に就職した吉村さん。ホスト系エンジニアとしてメインフレーム環境でのアプリケーションの設計から開発、運用まで、ひと通りの業務経験を積んだ。その後、オープン系の開発に関わりたいと考え転職を決意。エージェントを活用して、2001年、2社目となる証券会社のシステム子会社へと転職を果たした。
「それまではCOBOLやアセンブラといったメインフレームの世界だけで開発に取り組んでいました。しかし転職してからは、自分の希望通り、UNIXやWindowsなどまったく新しいオープン系システムの構築やサポートに携われるようになりました」
吉村さんは、この証券会社のシステム子会社に4年間勤務し、オープン系システムの知識やスキルを習得。同時に自らのモチベーションを高めるために、Solarisの認定資格やJava認定資格、情報セキュリティアドミニストレータ資格などを自主的に取得した。しかし、日々の業務の比重がエンドユーザーのサポート業務に偏っていたことから、吉村さんは「スキルの伸びが頭打ちになった」と感じ、2度目の転職を考えるようになった。
「これまでの経験から、ITの大体の仕組みは把握しているという自負はありました。ただ、技術の変化は非常に速く、このままではついていけなくなると不安を感じていました。自分の中で芯となる、新たなスキルや製品を見つけたいと思ったんです」
英語を使うブリッジSEの仕事にチャレンジ いまは語学力不足でも「頑張れるはずだ」と確信していた |
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転職サイトを利用しながら、2度目の転職活動を始めた吉村さん。これまでは大企業の子会社ということもあり、なかなか自分の思い通りの動きができないというジレンマがあったので、次は将来性があって自分を高めていけるような職場であれば、小規模な企業でも構わないと考えていた。10社ほど検討した中で、最終的に『ゾーホージャパン』を選んだ理由について、吉村さんは次のように語る。
「英語に自信はなく、製品知識もない。それでも頑張れるはずだと思った」と語る吉村さん |
「当時、10名程度の組織でしたが、ワールドワイドに事業を展開している『ゾーホー』の日本法人であり、扱うネットワーク監視の製品はすでに世界的な実績を持っていたので、将来性があると感じました。何より、ブリッジSEとして業務で英語を使うという点に、自分のチャレンジ精神がくすぐられました」
しかし、当時の吉村さんの英語力はTOEICで550点のレベル。これまで個人的に英語のマニュアルなどを読んだことはあったが、仕事で使用した経験はなく、語学力に対する自信はまったくなかったという。
実際、面接時に受けた英語翻訳のテストはほとんどできず、面接終了後は「考えが甘かった」と、内定をほぼあきらめていたそうだ。ところが、予想に反して吉村さんは内定を獲得。2005年、見事に同社への転職を果たした。
知識や語学力不足に関して不安はなかったのだろうか。
「確かに、ネットワーク監視というまったく新しい分野に飛び込むことにも、自信のない英語を使って仕事をすることにも、不安を感じていました。しかし、文系学生からITエンジニアになったときも、ホスト系からオープン系へ転職したときも、未経験からのチャレンジだったんです。だから今回も、入社してから頑張れるはずだ、と思いました」
英語力だけでなく、インドとの開発思想の違いにも苦戦 日本とインド人エンジニアとの円滑な橋渡しのコツを学ぶ |
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ゾーホーが展開する自社製品の開発は、約1200名の技術者を有するインドの開発センターにて行われている。入社後、吉村さんはブリッジSEとして、企業向けネットワーク監視製品「ManageEngine」のローカライズ(日本語化)に携わることになった。入社後すぐ、オフィスに来ていたインド人エンジニアとのコミュニケーションに苦戦したと吉村さんは苦笑いをする。
「英語力が足りず、まったく意思疎通ができませんでした。ただ、彼らはとても温かい性格で、わたしが英語で話せなくても優しく接してくれましたね。コミュニケーションに慣れるため、休みの日に彼らと一緒に観光に出かけたりしました」
その後もインドの開発センターとのメールでのやりとりを通じて、少しずつ英語でのコミュニケーションに慣れていったという吉村さん。ネットワーク監視に関する知識も、周りの先輩やインド人エンジニアからのアドバイス、Webでの情報収集などを通じて着実に身に付けていった。知識、技術、英語力のいずれも「実務を通して学びました」と吉村さんは語る。
現在、吉村さんはマネージャーという立場で、製品のローカライズに加え、営業・マーケティングや、人員マネジメントなど幅広い業務に取り組んでいる。いまではインドの開発メンバーからも“Akihiro”とファーストネームで親しまれ、しっかりとした信頼関係が築けているそうだ。ワールドワイドな実績のある製品をローカライズして日本の市場に展開できるということや、徐々に国内での認知度が上がり、問い合わせの数も増えていっていることに、大きなやりがいを感じるという。
日本とインドとの橋渡しをする上で、吉村さんが最も気を付けていることとは何だろうか。
「円滑な橋渡しをするためには、マメに連絡を取り合うことが大切です。彼らはとても優秀なのですが、国民性なのか、ちょっと時間にルーズなんですね(笑)。だから作業の進ちょくについては、随時こちらから確認して、プッシュしないといけません」
さらに吉村さんはこう続ける。
「日本の顧客の要求レベルが高いというのは、わたしたちもインド側もよく分かっています。だからこそ、作業を依頼する際には、高い要求が生まれる背景や理由、その要求を実現することで製品がどう良くなるのかということを、きちんと説明することが大切なんです。その上で、日本とインドの異なる開発思想のバランスを取り、うまく調整しながら仕事を進めることが重要です」
文化の違いを乗り越え、良い製品を作っていくためにブリッジSEに求められる素養は、技術力や語学力よりも、まずは「好奇心やチャレンジ精神、そしてコミュニケーションが好きであること」だと吉村さんは強調する。
最後に今後の目標について聞いた。
「現在は営業も担当しているので、今まで以上に折衝能力や契約締結に伴う法務知識を身に付けていきたいですね。そして、ゾーホーという会社のさらなる認知度と売上の向上を目指していきたいと思います」
●ゾーホージャパン株式会社の採用担当に聞いた、吉村さんの評価ポイント 当時、当社で考えていた必須条件は、何かしらのシステム開発経験があること、そしてオープン系のシステムを理解していることの2点でした。吉村さんは1社目で、ホスト系ではありますが、しっかりとした開発経験を積んでおり、2社目ではオープン系システムの運用管理を中心に携わっていたので、その2点はクリアできていました。 英語力に関しては、話せなくても「英語を使った仕事をしたい」という前向きなやる気があれば、業務を通して身に付けられるだろうと考えていました。特に吉村さんは、自主的にさまざまな資格を取るなど、非常に勉強熱心な印象を受けました。環境が変わっても新しいことにどんどん対応し、活躍してもらえるだろうと考え、採用に至りました。 |
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提供:マイナビ転職
企画:アイティメディア営業企画
制作:@IT自分戦略研究所 編集部
掲載内容有効期限:2010年11月30日