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第5回 檀上伸郎――「はてな」と「けもの道」

岑康貴
2008/8/1

エンジニアにとって仲間とはどういう存在なのだろうか。極端なことをいえば、自分1人で作業が完結できてしまうエンジニアにとって、仲間とのコミュニケーションにはどんな意味があるのか。エンジニア同士のネットワークを通じて、エンジニアにとっての仲間とは何かを探る。

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 サイボウズラボの竹迫良範氏からスタートしたエンジニアの輪。前回登場したpaperboy&co.の宮下剛輔氏(宮下剛輔――「自分を知ってもらう努力をしよう」)から紹介されたのは、ソフリット 代表取締役の檀上伸郎氏だ。元「はてなのサーバ管理者」という肩書きが、ひょっとすると最も有名かもしれない。

 はてなを退職し、独立・起業という道を選択した檀上氏。その経緯に、コミュニティはどのような影響を与えているのだろうか。そして、1人で会社を経営するエンジニアにとって、コミュニティとはどんな存在なのか。

はてなの(元)裏方

 
ソフリット 代表取締役
檀上伸郎氏
 

 「取材の場所は、弊社でよろしいですか?」

 宮下氏から紹介され、檀上氏に取材のお願いをしたところ、上記のような返事が返ってきた。檀上氏は現在、ソフリットという企業の代表。従業員は彼1人だ。つまり、オフィスとはすなわち自宅である。ドアには表札代わりなのか、名刺が張られていた。

 はてなというユニークな企業を飛び出して、たった1人で起業した檀上氏。彼は最近、エンジニア・コミュニティ、特にPerlコミュニティに積極的にかかわり始めている――そう宮下氏は教えてくれた。はてな時代はどうだったのだろうか。

 「はてな自体、東京で知られるようになったきっかけがShibuya.pmだったんじゃないでしょうか。そこで近藤(淳也氏、はてな代表取締役)がプレゼンをして、広まったというか、技術者の皆さんに認められたというか。伊藤(直也氏)がはてなに入ったきっかけもShibuya.pmでした。そういう意味で、コミュニティにお世話になっている会社だったんです。一方で僕は、勉強会でも『ふーん』って聞きに行くだけって感じでしたね。ただそれでも、コミュニティに近しい会社だったということと、勉強会などで話す人間が会社の中にいたことが重なって、足を運ぶことは多かった」

 檀上氏がはてな時代に携わっていた業務はサーバ管理など、本人いわく「黒子に徹する仕事」が中心だった。彼自身、裏方であって、あまり表には出ていかないタイプだと自己分析する。

 「はてなっていう名前に助けられて、勝手にコミュニティの中に入れてもらっているという感じだった。でもその中で、例えば廣瀬(正明)さんとか、仲良くしていただく人が増えていったんです。独立して1人でやっていっても、これなら寂しくないだろうなあ、と感じました」

けもの道を行く

 檀上氏が最初に入ったのは、リクルート系の雑誌の印刷を行っている会社だった。技術開発課では多くのエンジニアの同僚や先輩がおり、さまざまなことを勉強させてもらったという。「やっぱり技術って面白いな」ということを認識させてくれたと檀上氏は語る。その後、社内の一部が独立して起業するという話になり、「面白そうだから」という理由でそちらに移った。しかし、技術者は彼以外にはほとんどおらず、外注先の協力会社との交渉が仕事の大きな部分を占めるようになった。

 「技術者の仲間は周りにあまりいないし、技術が楽しいなと思う人間なのにコミュニケーションの仕事が多いわけですから、つらいんですよ。それに、DTP系よりもWeb系の方がこれからは生き残っていけるかなあという考えもあって、大学時代の友達の友達だった近藤に、(はてなに)入れてくれという話をしました」

 技術者は1人で放っておくと腐る、と檀上氏は自身の体験を振り返る。

 「メールサーバもWebサーバも、社内のスイッチもルータも、全部面倒見ています、という人が世の中にはたくさんいると思う。そういう人たちは、仕事の大変さを共有できる場、交流する場に出て行った方がいいと思う」

 こうして檀上氏は、はてなという「コミュニティに近い会社」のサーバ管理者として活躍することになる。しかし、勉強会で知った手法を自社内に応用することはあったが、「基本的には、いま持っている知識で、なんとか動くように回していく」ことで精いっぱいだったと語る。

 
 
かつて、はてなのサービスを
動かしていたサーバ(の一部)

 「ずっと僕1人で、根性論のような形でやっていたのですが、伊藤が先頭に立って、インフラをきちんと整備しましょうということになった。それらが一段落した後、これから仮想化なり冗長化なりをしていく中で、自分はきちんと勉強をしてきたかということを考えたんです。してなかったんですね。僕自身、疲れきってしまっていたので、ちょっと一息を入れたいと感じていました。特に、このままではインプットの時間が取れないという意識があったんです」

 しかし、ただ辞めるのではつまらない。会社をつくろうと檀上氏は決意する。ちょうどこのころ梅田望夫氏の「ウェブ時代をゆく」を読んで、「高速道路とけもの道」の話に出会った。スペシャリストとして高速道路の大渋滞を抜けることを目指すのは、自分に合っているのだろうかと自問したという。独立となれば、プログラムが書けるというスキルのほかに、コミュニケーションができる、経理ができる……など、さまざまなスキルが必要とされる。いろいろなスキルを持ちながら、バランスを取って「けもの道」を行く方が、何かの技術のスペシャリストになるよりもずっと「自分らしい」のではないか。

 幸い、コミュニティという環境がすでに周りに存在した。独立しても寂しくないだろう――かくして2007年8月、檀上氏ははてなを退職した。

独立するということ

 エンジニアが独立する、ということは、自分のできることを増やすことだと檀上氏は語る。

 「コードを書くだけじゃなくて、交渉もしないといけないし、何かあったときにユーザーにそれを文章で伝えるということもしないといけない。でも、自分のできることが増えていくというのは面白い。最近は経理が楽しい」

 さらに、独立して何が一番変わったかといえば、それは「仕事をコントロールできること」だという。

 「(仕事を)受けたくなかったら受けなくてもいいわけです。いつ仕事をするかというのも自分でコントロールできる。自分でコントロールできるというのは、すごくいいなあと感じています」

 しかし一方で、独立するには相応の覚悟が必要なのではないだろうか。檀上氏は、あくまで自分は運が良いケースだと付け加える。

 「はてなを辞めるに当たって、お客さんを営業譲渡していただいたんです。個別でやりとりをさせていただいていた案件だったので、信頼関係を築く段階が終わっているお客さんがいる。これは非常にラッキーなケースだと思います。ですので、単純に一般化はできません。たまたま僕は手に職があり、営業譲渡もしてもらったから、独立のスタートが順調に切れている」

 いろいろな人に感謝している、と檀上氏は笑った。

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